思い出の文鳥

↑左 チョコ、右 つぶ

つぶ     享年12歳 オス 白文鳥

どうして「つぶ」って名前なの?と、皆さんからよく聞かれます。
ちいちゃくて、甘く、かわいらしい感じのする名前をつけようと思い、小豆つぶやチョコチップから連想し、2000年10月に死んでしまった相棒の「チョコ」と合わせて「チョコ、つぶ」だったのです。

2羽は、横浜のペットショップから来ました。つぶはヒナの頃から体格よく、足も太くてずっしりしてました。
反対にチョコは、か弱い感じのするヒナでしたが、とてもなついて、かわいらしかったのです。
チョコ、つぶは飛べるようになると、先輩手乗り文鳥のポチを追い掛け回すようになりました。
ポチはずっと1羽で飼われていたので、チョコ、つぶを怖がりました。
その後約5年ほど、私が東京で一人暮らしを始めたため、母親に3羽の世話を頼んでました。
私がたまに実家に帰ると最初は寄り付きませんが、時間がたつと思い出すらしく近寄ってきていました。

今住んでいるアパートに住むのをきっかけに3年ほど前から再び一緒に暮らしはじめました。
爪が私の洋服に引っ掛かって出血した以外は、病院へいったことがないほど丈夫でした。
羽毛のツヤが若いのに比べると今ひとつですが、よく水浴びもするし、歌うし、まだまだ元気だったのに。

2002年、8月7日。お別れの日は突然やってきました。
いつものように、つぶは止まり木にとまってウトウト眠っていたのに、パタンと床に降りて
ジッとしてしまったのです。呼び掛けても振り向きません。嘴の色も悪くなってきました。
あわてて病院に電話をして連れて行きました。
病院に着いた頃、嘴の色はまるでヒナ鳥くらいのピンク色になっていました。
先生は診察、投薬をしてくださり、つぶは酸素室に入りました。つぶは果敢にも先生に噛みついてました。
「危ない状況です。ネコぐらいの大きさの動物であれば、点滴もできるのですが。
このまま入院させても良いですが、おうちに連れて帰りますか?」と先生はおっしゃいました。
ダンナに電話をし、連れて帰ることに決めました。帰りのタクシーの中で、つぶはぐったり寝てました。
夕方、6時頃に家につき、つぶを鳥かごへ移しました。つかもうとすると、力が弱いながらも暴れました。
「低血糖に注意してください。」と言われたので、病院からもらったブドウ糖を少し飲ませました。
6時半頃、2回めのブドウ糖を飲ませようとした所、すごく暴れました。
水分が口に入ると痛がっているようにも見えました。カゴのスミにうずくまってしまいました。
もう一度、ブドウ糖を飲ませようとしましたが、暴れてしまいます。
かえって体力を消耗させてしまうのではないか、と思い見守っていた時、
苦しそうに「ビッ、ビッ」と鳴いて足を横に投げ出し、動かなくなりました。
名前を呼んでブドウ糖をあてがっても反応がありません。
手で抱き上げると頭がグランと下がってしまいました。夜7時頃の事でした。
昨日まで水浴びをして元気だったのに。
となりの鳥かごにいる文鳥達は「ピッ、ピッ」と鳴いて騒いでました。
つぶが大好きだったシナモン文鳥のキャラメルは、2、3日の間うるさくしていたように感じます。

今、つぶは、きれいな骨と灰になって我が家にいます。
天国で相棒のチョコと再会していると思います。
つぶはチョコが、チョコはつぶのことが大好きでしたから。

▲うちの子プロフィールへ戻る

TOP | 文鳥マンガ | 弥富旅日記 | 新種の!?文鳥| おともだちリンク | お役立ちリンク | おみやげ

Copyright (C) 文鳥Cafe